問題は抱えているなりに、それからもバレンタイン話に花が咲いて、電車を下りた頃には、十一日のお休みに椿さんと一緒にチョコを作る約束ができていた。椿さんには本命はいないけど、お父さんや氏子さんに義理チョコを配るんだって。神社でバレンタインのお祝いするのって宗教的にいいの?ってきいたら、「神社の娘にもバレンタインを楽しむ権利はありますわっ」って力説されちゃった。
どんなチョコを作ろうかとか、ラッピングをどうしようかとか。夢中で話しながら駅前の商店街を歩いてると、不意に肩を叩かれた。
「おい、小夜ちゃん!」
「ひゃっ!? ……あ、雄大」
振り返ると、雄大の長身がすぐ真後ろに聳えていた。高いところにある日に灼けた顔から、にっと白い歯が零れる。制服姿で、肩からは「啓東学園サッカー部」のロゴが入ったスポーツバッグを提げた、いつものスタイルだ。
「『あ、雄大』じゃねえや。何度も呼んでるのに」
「まったくだよ」
と、雄大の後ろから、しかめっ面がのぞいた。しかめっ面でも、見とれるくらいに端麗な美貌。ヒコも一緒だったのね。
「あたりも憚らない黄色い声を上げて、さっぱりこちらに気が付かないなんて、傍若無人にもほどがある。品のない女は公害だね」
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……綺麗なのは顔だけで、相変わらず口は悪い。椿さんもいることだし、少しは手加減してくれてもいいのに〜。
なんて心の中では思いながらも、口ではヒコに勝てるわけはないので、私は素直に頭を下げた。
「ごめんなさい……。偶然ね、雄大もヒコも今帰り?」
「見ればわかるでしょう。制服なんだから」
「電車がたまたま一緒になったんだ。おまけに小夜ちゃんにまで会うなんて、珍しいよなぁ」
「あの……小夜音さん。こちらのお二人は、もしや……?」
と、椿さんに囁かれて、私は我に返った。ああ、そうだわ。初対面なんだから、ちゃんと紹介しなきゃ。
私は、「そう、さっき電車で話してたのは、この二人のことだよ」という気持ちを目にこめて、椿さんに頷いてみせた。
「紹介するね。こっちが雄大で、こっちがヒコ。二人とも私の幼なじみなの」
「若槻雄大っす。へーっ、小夜ちゃんにこんな美人の友達がいたんだ」
「瀧中天彦です」
雄大は愛想よく、ヒコはそっけなく、それぞれに自己紹介をする。椿さんも二人に向かって、きちんとお辞儀をした。
「初めまして、七瀬椿と申します。小夜音さんとは同じクラスで、数学部でもお世話になっておりますわ」
あははは、と雄大が笑い声を上げた。
「『お世話になっておりますわ』だってさ。変わった喋り方すんなー。椿ちゃんって、もしかしてお嬢様か?」
いきなり「ちゃん」づけで呼ばれた上に、不作法なことを言われて驚いたのだろう。椿さんは目を白黒させた。
「い、いえ……別にそういうわけでは」
「椿さんのお家は、貴月神社だよ」
と、見かねて私は助け船を出した。
「だからちょっと古風な話し方だけど、椿さんには合ってると思うわ。変じゃないよ。ね?」
「ああ、面白くていいじゃないか」
雄大は笑ったまま頷いた。思ったことをそのまま口に出しているだけで、雄大の発言には基本的に悪気はないのだ。
「ふうん、そっか。椿ちゃんって、神社の子なんだなー。──じゃあさ!」
と、何かを思いついたらしく、雄大が顔を輝かせる。
「帰る方向一緒だし、みんなで川通って帰ろうぜ! 今、川沿いの神社の近くらへんに、旨いたこ焼き屋の屋台が出てんだ!」
「えっ? あ、はあ、まあ、よろしいですけれど……って、お待ち下さい、みなさん!」
すでに雄大は大股で歩き出している。ヒコも私もその後に続いていたのへ、椿さんが慌てた様子で小走りに追いついてきた。私のコートの袖を掴まえて、ちょっと睨むような目をする。
「小夜音さんまで……私の返事くらい、待って下さってもよろしいのに。ひどいですわ」
「あ、ごめんね……。雄大ってこんな感じなのよ。脊椎反射なんじゃないかと思うくらい、決めるのと動くのが同時なの。いつものことだから、私とヒコはいい加減馴れてるんだけど」
「はあ……いつものこと、ですか」
椿さんは首を振ると、やけにしみじみとしたため息をついた。
「本当にみんなさん、幼なじみでいらっしゃるのねえ……阿吽の呼吸と申しましょうか、ほとんど家族のノリではありませんの。これは、お二人のうちどちらかを選べと言われても、たしかに難しいのかもしれませんわ……」
川原に出ると、すっきりと開けた空に、ちょうど夕映えが微妙なグラデーションを靡かせている頃だった。
みんなの髪の毛が西日に輝いて、頬のうぶ毛までが金色に燃えている。こんなきれいな夕映えの下、川辺に無邪気に四つの影を並べられるのが嬉しい。
「ふーん、じゃあ椿ちゃんは小夜ちゃんに誘われて数学部入ったんだ。数学部って、何すんだ? なんか難しそうだな」
「いえ、そんな難しいことはありませんわ。私も数学は苦手ですけれど、なんとかついていけますもの。遊びのようなこともいたしますし……この間は、『嘘つきクイズ』をしましたのよ」
雄大の闊達さにつられたのか、男の人か苦手な椿さんにしては珍しく、よく喋っている。初対面の椿さんを警戒しているのだろう、ヒコだけは口数が少なめだったけど、それも、みんなで賑やかに話しているうちに、徐々にほぐれていくようだった。
「嘘つきクイズ? なんだ、それ?」
と、雄大がこっちを見る。私は張り切って解説を始めた。数学や論理パズルは好き。こういう話なら、任せておいて。
「論理パズルの一種だよ。例えば、まず数学部の中で『鬼』をじゃんけんで三人決めて、その人達は『自分が犬が好きか猫が好きか』を、みんなに聞こえないように廊下に出てこっそり話しあうの」
「ふんふん。そんで?」
「で、鬼の人達が、みんなに嘘つきクイズを出すのよ。『私達三人の中には、犬好きも猫好きも、最低一人はいました。これから、犬好きの人間は本当のことを言いますが、猫好きの人間は真実を言ったり嘘を言ったりします。誰が犬好きで誰が猫好きか、当てて下さい』って前置きしておいて、三人が順番に発言していくわけ」
「……小夜音さん、よく覚えてますわね。私はそこまですらすら再現できませんわ」
「えーと……俺、わけわかんなくなってきた……」
と、雄大は顔をしかめて、がりがりと頭をかいた。反対に、ヒコは興味を惹かれた様子だ。
「数学部といっても、数字ばかりを扱っているわけでもないんだね。面白そうじゃない」
「でしょ? さて、ここからが問題です。小森さんが『川原さんは犬が好きです』、川原さんが『裕子ちゃんは犬が好きです』、裕子ちゃんが『ここには犬好きは一人しかいません』と発言しました。この中の誰が犬好きで、誰が猫好きでしょう?」
「わからん」
と、雄大が即答する。は、速すぎっっ。
「ゆ、雄大ったら……少しは考える姿勢を見せてよ〜」
「俺の頭じゃ、考えたってどうせわからねえもん。ヒコ、後は任せた」
「勝手に任されてもね……」
とは言いながら、ヒコも口元に指を当てて、真面目に考え込むポーズだ。私達はなんとなく、一旦停止した。と──。
──リーーーーーーン……。
その時不意に、夕空に鈴の音が響いた。
私は顔を上げて、辺りを見回した。この音は、まさか──。
……やっぱり!
「トモくん!」
夕映えに輝く土手の上に、目的の姿を見つけて、私は声を上げた。萌え始めの草を踏んで、華奢な姿が静かに佇んでいる。
「トモくん……三人目ですか?」
と、背後で椿さんが、驚いたように息を飲む。
「まさか……。子供ではありませんの!」
う。
私は顔をひきつらせた。そっ、それを言われると辛いものがあるんだけどっっ。
正確な歳は私も知らない。というか、きくのが怖い……。でも、小柄な体といい、細い手足といい、トモくんはどう見ても小学生、せいぜいが中学生くらいの男の子だ。「子供」と言われても仕方がないんだけど。だけどっっ。た、ただの子供じゃないんだから、トモくんは〜。好きになっても仕方ないじゃない。
彼は、身軽に土手を下りてくると、私の前に立って、まっすぐ目を上げた。
「……こんにちは、小夜ちゃん」
「……こんにちは、トモくん」
そう挨拶をしたきり、しばらく黙って見つめ合うのが、私とトモくんの流儀だ。いつもこの川原で会うだけで、「トモくん」という呼び名以外は何ひとつ知らない。でも、なんだか会うとそれだけで、ほのぼのと幸せな気分になれる。そんな不思議な子だった。
「なんだ、このガキは? 急に現れて……」
と、鼻の頭に皺を寄せながら、雄大がじろじろとトモくんを見る。人懐こくて子供好きの雄大にしては、珍しく不機嫌そうだ。どうしたんだろ。
「あ……私の知り合いなの。トモくんよ」
「知り合いって。こんな子供に、『小夜ちゃん』なんて呼ばせてるわけ?」
ヒコに至っては、蛇蝎を見る目つきでトモくんを睥睨している。……な、なんで雄大もヒコも、そんなにトモくんに冷たいのよー。こんなに可愛い子なのに。
でも、トモくんは気に留める様子もない。まるで、私以外の人間がここにいるのに今気づいた、とでもいう風に、雄大とヒコを見上げた。
「今日は、大勢なんだね。……何をしていたの、小夜ちゃん」
「あっ、今はちょうど、嘘つきクイズをしてたとこなのよ。あのね……」
と、私はもう一度、「犬好き、猫好き」の問題を最初から繰り返した。トモくんは賢そうな瞳を動かさずに、黙って聞いている。
「さて、誰が犬好きで誰が猫好きか。トモくん、わかる?」
「『小森さん』が猫好き。『川原さん』も猫好き。『裕子ちゃん』が犬好き」
間髪入れずに、トモくんが答えた。問題を言い終えるのとほぼ同時だった。
私はさすがに呆然として、額を押さえた。こ、子供離れして頭のいい子だとは思ってたけど、まさか、ここまでとは……。
「あの……トモくん。この問題、知ってた?」
「今初めて聞いた」
「それでなんで、そんなすぐ答えれんだよ。テキトーに言ったんじゃねえの?」
と、雄大がいちゃもんをつける。運動神経が発達している分、脳の発達を犠牲にしてるようなとこがある雄大にしてみれば、こんな問題に即答できる人間の存在なんて信じられないのだろう。
だが、トモくんは表情を変えず、静かに首を振った。
「違う。考えた。『川原さん』の発言が真ならば、『裕子ちゃん』の発言は偽。従って、『川原さん』は偽を述べており、猫好き。ゆえに、『小森さん』の発言も偽となり、『小森さん』は猫好き。犬好きは必ず一人いるはずなので、残った『裕子ちゃん』は犬好き。──合ってる? 小夜ちゃん」
「う……うん。……正解」
トモくんは微笑した。
辺りは、妙に静まり返ってしまった。い、いけない。トモくんは幸せそうだけど、それ以外の人間が思い切り盛り下がってしまったわ。なんとかしないと……どうしよう、えーっと、えーっと、えーっと──。
「そ、そうですわ!」
と、椿さんが出し抜けに声を張り上げた。
「せっかくこれだけ人数が揃っているのですもの、今ここで、『鬼』を決めて嘘つきクイズをやってみませんこと?」
「えぇーっ?」
と、思いっきり嫌そうに不平を鳴らしたのは、雄大だ。
「やだぜ、俺、クイズ苦手なんだ。頭悪ぃから」
「大丈夫です、若槻さん! 答えるのは私と小夜音さん、数学部員が引き受けますわ。みなさん三人は、問題を出してくれればよろしいんです。テーマは、バレンタインならびにホワイトデーにちなんで、『チョコレートとクッキーの好き嫌い』。チョコ好きな方は必ず真実を言い、チョコ嫌いな方は必ず嘘をつく、というルールでいかがでしょう?」
チョコレートとクッキーの好き嫌い……?
あ、それって、もしかして──。
「だけどなあ……」
と、雄大を始め、なお気乗りしない様子の男性陣に、椿さんは最後のだめ押しをした。
「なお、参加者にはもれなく、バレンタイン当日に小夜音さんから手作りお菓子プレゼントの特典つきですわ」
「ちょ、ちょっと椿さん、勝手にそんな」
焦る私をよそに、「手作りお菓子プレゼント」の一言で、場の空気は肌で感じ取れるほどに一変した。
「よーっしゃ、乗った!」
「やれやれ、仕方ないな……つきあうよ」
「……参加する」
あああ、食い意地の張った雄大はともかく、ヒコやトモくんまで急に積極的になってるし! 三人とも、なんて現金なの〜。
「決まりですわね」
椿さんはにっこりした。
その後、ルール説明の後、雄大とヒコとトモくんは、問題作成のために少し離れたところへ移動した。それを見送って、椿さんと私は肩を寄せ合って、ひそひそ話モードに入った。
「うまくいきましたわ、小夜音さん。これで誰の心証も悪くすることなしに、三人全員のチョコとクッキーに対する好みがわかりますわよ」
「あ……やっぱりそのつもりで? うわーん、ありがとう椿さん、嬉しい〜」
「どういたしまして。お三方とも、『小夜音さんの手作りお菓子』に露骨に反応していましたし、あれは脈ありです。頑張って下さいまし」
「うっ、うん……。椿さんも協力してくれたし、私、頑張る!」
「それにしても、『トモくん』には驚きましたわよ……小夜音さんったら、そういうご趣味でしたの?」
「そういうご趣味って……ひ、人を変態みたいに言わないでくれる?」
「変態ですわ、もし本気なら。まるっきり子供ではありませんの」
「子供っていっても……多分私と五歳か六歳か七歳くらいしか離れてないはずでしょ。それくらいの年の差カップルなら、世間にいくらでもあるじゃない」
「そうは言っても、十代の七歳差は……あら、まとまったようですわ」
「おーい、終わったぞー」
と、雄大が手を振りながら駆けてくる。よ、よーし。
雄大、ヒコ、トモくん。背の順に並んだ三人を前に、私は拳を握った。頑張らなきゃ。うん。
「チョコ好きな奴はホントのこと言って、チョコ嫌いならウソ言えばいいんだよな? 俺、一番でいいか? 何言えばいいんだ?」
改めて確認する雄大に、ヒコが肩をすくめてみせた。
「だから、雄大は好きに喋っていいって、さっき決めたじゃない。後は僕と……この子供が、なんとかフォローするよ」
と、ちらりと傍らを流し見る。その一瞥を無視して、トモくんはひたすら私を見つめていた。……だ、大丈夫かしら……こんなチームワークに欠けるメンバーで、ちゃんと論理的な解が導ける問題を作ってくれるんでしょうね。不安になってきた。
「んじゃ、一番! いっくぜー!」
「あ、待って下さい、若槻さん。メモの用意をしますから。……はい、結構ですわよ」
(命題1)
チョコとクッキーの好みについて、三人の少年が発言しました。
チョコレートが好きな人は真実のみ、チョコレートが嫌いな人は嘘のみを言います。さて、各人のお菓子についての好みは?
雄大「この中にチョコが嫌いな奴がいるんだぜ」
天彦「雄大はチョコが好きだし、クッキーも好きだよ」
トモ「チョコレートの好き嫌いに関しては、僕は……雄大と同じだ。
クッキーでは、逆だった」
「クッキーでは逆だった……と」
呟いて椿さんは、ルーズリーフに走らせていたシャーペンを止めた。
「小夜音さん、わかります? よろしかったらこれをご覧下さい」
と、ルーズリーフを差し出してくれる椿さんに、私は首を振った。
「ううん、いい。もうわかったから」
「ええっ、もう!? 小夜ちゃん、すげー」
「すごくないよ。だって、トモくんはもっと速かったじゃない」
驚く雄大に、私は謙遜ではなく本心からそう言った。トモくんに比べたら、私なんか凡人だなあ、って思わずにはいられない。ヒコが、ふん、というように肩をそびやかした。
「つくづく理系だね、小夜ちゃんも。能書きはいいから、答えを言ってみたら?」
「うん」
私は、夕日に照らされた、目の前の三人の顔を見た。
彫りがくっきりしていて表情も豊かな、雄大の精悍な顔。
玉のような面に双眸が長く切れた、ヒコの匂やかな美貌。
凛と澄んだ瞳で私を直視する、トモくんの怜悧な幼顔。
私は、唇を開いた。
「答えは──」
風が、川面に夕焼け色のさざ波をきらめかせた。