菓子函 〜ロジカル・バレンタイン〜 3
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 二月十四日、バレンタイン当日。
 いつもより早めに登校した私は、チョコの入った紙袋を抱えて、数学準備室に向かった。職員室で借りてきた鍵で錠を外し、からからと引き戸を引く。
「……失礼しまーす」
 一応そう呟いてから中を窺ったけれど、部屋にはもちろん誰もいない。うん、よし、今のうちに──。
「おはようございます、小夜音さん」
「ひゃっ!」
 突然声をかけられて、私は飛び上がった。振り返ると、椿さんがきょとんとした顔で廊下に立っている。
「あ、椿さん……ど、どうしたの、こんな朝早く」
「二限目で使う体育館シューズを取りに来たんですわ」
「あ、そっか……そういえば、今日は体育館だったね」
 どきまぎしながらも、私は納得した。数学準備室は、数学部員の置き勉スペースに使われているのだ。個人用のロッカーは教室に一応あるけど、小さくてすぐいっぱいになっちゃうから。
 椿さんは、訝しそうに私と、私が胸に抱えた紙袋を見た。
「小夜音さんの方こそ、シューズを取り来たわけでもなさそうですし、どうなさいましたの? それは……この間作った、チョコレートですね」
 言い当てられて、私は頷いた。椿さんには隠してもしょうがない。
「うん。ロッカーに詰め込んでおくとラッピングが崩れそうだから、こっちに置かせてもらおうと思って。放課後、それぞれの家まで渡しに行くつもりなの」
 ここは女子校。雄大ともヒコとも、当然ながら学校が違う。ただ、みんな家は近いから。トモくんに至ってはどこに住んでるかも知らないけど、でも、お天気のいい日の夕方頃川原に行けば、たいてい会えるしね。どちらにしても学校からの帰り道のついでに配達に行くのが、都合がいい。
 椿さんはにっこりした。
「そうでしたか。今日は頑張って下さいね。それで? 結局、どなたに本命カードを渡すことに決めたんですの?」
 きかれて、私は明後日の方を見た。
「小夜音さん?」
「……決めて、ないの」
「……は?」
「まだ、決めてないのよ、実は……」
 椿さんは口をぽかんとOの字に開けた。
「まだ、って……ど、どうするおつもりですの、小夜音さん! バレンタインは今日ですのよ、本命の方にはカードをつけてお菓子を渡すんだと仰ってましたわよね? 明日、告白場所に相手の方を呼び出すカードを」
 頬にかっと血が昇る。私は慌てて、椿さんの腕を掴むと、数学準備室に引きずり込んだ。廊下なんかで立ち話をしていたんじゃあ、誰に聞かれるかわからない。扉を閉めてから、ようやく呼吸をしずめて、私は椿さんに向き直った。
「だから……その、ラッピングする時になっても誰に告白するか決められなかったから、苦肉の策でプレゼントを四種類用意したの、よ……」
「四種類?」
 私は紙袋の口を開いて見せた。
 中には、同じラッピングをした同じ大きさの包みが四つ入っている。箱も包装紙もリボンもまとめ買いしたから、全部一緒のラッピングになっちゃったのだ。ただ、渡す時に間違えるといけないので、それぞれの包みには付箋をつけてある。
「チョコ」
「チョコとカード」
「クッキー」
「クッキーとカード」
 といった具合に。
 四つの包みを確認して、椿さんはため息をついた。
「たしかにこれなら、どうとでも転べますわね。……それにしても、まさかとは思いましたけれど、ここまで決断を引き延ばすなんて。告白をためらう程度の気持ちでしたら、今回は見送った方がよろしくありません?」
「……別に、『好き』って気持ちが弱いから迷ってるわけじゃないのよ。みんなそれぞれに好きだから、迷ってるだけで。一人とつきあったら、他の子とはもうあんまり会えなくなるんだろうな、淋しいな、とか考えると、どうしても……。だからって、今のままの『三つ股』状態がいいとも思えないし……」
「……悩ましいところですわね」
「うん……」
 私はため息をつきながら、背伸びして、紙袋を棚の上の方に載っけた。
 なんて優柔不断なんだろうって、自分でも情けない。でも、本当にみんな好きなの。子供の頃は一緒に遊んでて、それで何も問題はなかったのに、いつの間にこんな風にぎくしゃくするようになっちゃったんだろう。私が女だから? 私が男の子だったら、昔のままでいられた? こんなのは嫌。もう、嫌だ。でも、ずっと小さい頃から一緒だった人のうち、一人だけを選ぶのも苦しくて仕方ない。だから、決められずにいる。
「でも、今日で決着をつけるわ。そう決めたから。そうするの」

 だが、この時の私は予想だにしていなかった。
 私のバレンタインには、さらなる受難が待ちうけていることを──。


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